俺が俺の為に勝手に書きなぐる場所

グラフィックデザイナー、カメラマン、ジープ乗り、ベース弾き、シングルファザーである俺が興味のある事や日常を書き綴っています。

書きなぐり - 死生観 -

約半世紀生きてみたけど、ほぼやりたい事はやってきたし、子孫は残したし、正直生きるのに飽きた気がする。

昔は人生50年なんて言ったんだから、人間はそれぐらいで死ぬのが本当は一番いいんじゃないかと思う。

自ら死にたいとかは一切ないけど、今の俺の“夢”は死ぬ事だと自覚している。

 

そこそこ財産は作れたので、もう金持ちになりたいとかそういうのもない。

美味いもの食いたいとか、いい車乗りたいとか、物質的な欲はもうどうでもいい。

名誉とか地位とかも自分が好きな様に生きてきた俺には他人からどう見られるかなんて関係ないのでどうでもいい。

2回結婚して、2回離婚して、その後もそれなりに女性と付き合ったけど、もう自分の財産をビタ一文足りとも自分と息子達以外の誰かに使いたいとは思わないし、誰かに自分のすべてを理解して欲しいとかそういう事も望んでいない。

家族への愛はあっても、男女の愛はドーパミンが見せる夢であり、錯覚でしかない。

男女の愛はあって欲しいとみんなが望んでいるだけで、俺もあって欲しいとは思っていたけど今は実在しないものだと確信している。

ただし、女性が嫌いとかそういう事ではなく、まだ性欲はあるのでもちろん女体は好きだ。

 

シングルファザーを10年弱やってきて、当然子供達の事は心配に思うけど、結局人は一人で産まれてきて、一人で土に還るものでしかないので、自我が育ったら正直親なんて必要ないとも思っている。

あとは逞しく自分が納得する様に生きてくれればそれで構わない。

 

死について語ると、自殺願望があるとか鬱状態だとか思われるかもしれないけれど、そういうのは一切なく、最近死生観について考えるのは歳をとったからだろう。

それと共に、30代半ばまでに両親を病気で続けて亡くしているので、死が遠いものでないと感じていたのも理由の一つである。

 

絶対に自殺だけは嫌だし、無意味に苦しんで死ぬのは当然嫌なので、最近は死に場所を見つけなくてはいけないと思っている。

それは、物理的な場所ではなく、自分なりの死に方ができるシチュエーションである。

例えば、誰かを助けて野垂れ死ぬとか、そういうのが理想的かもしれない。

 

それぞれ長さは違えど、人間はみんな死という“目標”に向かって生きているだけなのだから、人生とは死ぬ事とみつけたり。