俺が俺の為に勝手に書きなぐる場所

グラフィックデザイナー、カメラマン、ベース弾き、シングルファザーである俺が興味のある事や日常を書き綴っています。

手を差し出す先は・・・

今日は、3月11日。
2年前には、あの震災があった日だ。

なぜだろう?
その日が来ると、世間は震災、震災と騒ぎ出す。
普段は、そんな事があったのも忘れたかの様に、マスコミはくだらない情報をタレ流し、人々は享楽を謳歌しているのに、この日ばかりは神妙な空気が流れる。

俺は、被災地の現状など知らない。
知ったところで、何も出来ないし、何もする気はない。
俺の生きている場所とは、あまりにもかけ離れているから。

この2年間、世間の流れは、震災に関わる事が多いのは否めない。

マスコミにとっては、おいしい金のなる木だろう。
震災関連の特番や特集を組み、スポンサー見つけて金を出させ、儲ける。
そこには、金が介在する。
まぁ、分かりやすい図式だ。
どんなに高尚な事を言おうとも、そこには最終的に金儲けの手段がある訳だ。
俺は、そんなモノに、耳を貸す気はない。

チャリティーイベントやチャリティーコンサート等、チャリティーと名のつくものも胡散臭い。
結局は、チャリティーという名の宣伝広告でしかない。
被災者を復興支援イベントに招待するとか、こんな事もしてますよ!という宣伝でしかないじゃん。

ボランティアだってそうだ。
理念・理想は素晴らしいと思うが、ボランティアに行ってきましたと自ら声を大にして言う必要があるのか?
結局、それってボランティアに行った俺スゴイでしょ?って事じゃん。
学生のボランティアなんて、就活の時の評価に繋がるからなんて平気で言ってるよね。
他人からの自己評価を上げる為にするモノが、今の時代ボランティアと言われているモノだと感じる。

脱原発反原発だってレフトウイングの小遣い稼ぎじゃん。
あんなんにノセられるのはゴメンだわ。

結局は、すべてエゴだ。
俺にとって、この2年間は日本人のエゴをただただ見せつけられた期間でしかない。

確かにたくさんの方が亡くなった。
それ自体は、悲しむべき事だし、大変な思いをしている方もいるだろう。
でも、誰一人として俺はその人達を知らない。

こんな事を書いたら、非難されるかもしれないが、俺はこの震災に対して、一切ボランティアもしていなければ、寄付もしていない・・・そう何もしていない。
なぜか?
だって、たまたまこの震災が大きい被害を出しただけであって、日本中が大騒ぎになったが、世界中を見渡せば天災などたくさん起きている。
その都度、すべてに寄付できるか?俺は出来ない。
すべての不幸を覆せるだけの財産がなければ、俺は寄付など出来ない。
ただ一つの震災に金を出して自己満足して終わらせるなんて、俺には出来ない。

やらない善より、やる偽善という言葉もあるが、偽善だったら俺はする気はない。

じゃあ、俺は何をするか?
そうね、身近に困って助けを求めてくる人がいたら、俺は黙って手を差し出すわ。